インシデントレポートを書きたくないとき|医師が説明する、読む側から見た話

インシデントレポートを読む側から見た視点を整理した図 未分類

「また書かされるのか」

インシデントレポートに、いい印象を持っている人はほとんどいないと思います。検索すると「書けば書くほど責められる」「無駄に上げる意味が分からない」という声が並びます。

その感覚は、間違っていません。 実際に、責める道具として使っている職場はあります。

ただ、レポートを読む側に回ると、見え方がまったく違います。 この記事では、そちら側から書きます。

なお、この記事は一般的な情報です。院内の運用は病院ごとに違うので、具体的な扱いは医療安全管理者に確認してください。

国の事業には「懲罰的な取り扱いをしない」と書いてあります

まず、制度の設計思想から。

日本には、医療機関から事故情報を集めて分析する医療事故情報収集等事業という仕組みがあります。2004年から20年以上続いていて、日本医療機能評価機構が運営しています。

その事業のパンフレットに、こう書かれています。

事業開始から一貫して、情報を匿名化して取り扱い、懲罰的な取り扱いをしないという考え方のもとに運営しています。

事業の目的を示す図にも、2行だけ原則が並んでいます。

  1. 情報は匿名化して取り扱う
  2. 懲罰的な取り扱いをしない

報告を集める仕組みは、最初から「責めない」という前提で作られています。 責めると報告が止まり、報告が止まると同じ事故が繰り返されるからです。

ただし、これは院内のレポートとは別の話です

ここは正確に書いておきます。

いま引用したのは、病院から機構へ報告する仕組みの話です。あなたが書いている院内のインシデントレポートとは、別のものです。

院内の運用は、病院ごとに決めています。だから「責める道具になっている職場」も実際に存在します。制度の理想と、目の前の職場が違うことはあります。

それでも、設計思想を知っておく意味はあります。あなたの職場の運用が、本来の考え方から外れていると分かるからです。

読む側は、何を見ているのか

医療安全のカンファレンスでレポートを読むとき、見ているのは犯人ではありません。

同じことが、他の人にも起きるかどうかです。

例えば、似た名前の薬を取り違えた報告が上がってきたとします。このとき考えるのは「この看護師は不注意だ」ではなく、次のようなことです。

  1. その2つの薬は、棚のどこに置いてあったか
  2. 名前は、どのくらい似ていたか
  3. その時間帯、何人で何人の患者を見ていたか
  4. ダブルチェックは、形だけになっていなかったか

どれも、個人の努力では変わらないものばかりです。

置き場所を離す、名称を変えるよう製薬企業に伝える、人員配置を見直す。そういう対策を打つために、材料が要るのです。

報告が1件だけなら「その人の不注意」で片付いてしまいます。同じ報告が5件集まって、はじめて「仕組みの問題だ」と言えます。

だから、書き方のコツは「誰が」より「何が」

役に立つレポートと、そうでないレポートの違いは、はっきりしています。

役に立たない書き方

「確認不足でした。今後は注意します。」

これだけだと、読む側は何もできません。注意しますという反省文は、対策になりません。

役に立つ書き方

  1. その時、何が起きていたか … 時間帯、担当していた患者数、同時に何をしていたか
  2. 何が紛らわしかったか … 薬の名前、パッケージ、指示の書き方、置き場所
  3. どこで気づいたか … 気づいたきっかけがあれば、それは他の人も使える
  4. どうすれば防げたと思うか … あなたの実感がいちばん正確です

4番を書ける人は、現場にいるあなただけです。 会議室にいる人間には分かりません。

書かないと、どうなるか

ここが、この記事でいちばん伝えたいところです。

書かなかった事例は、存在しなかったことになります。

あなたが黙って処理した1件は、記録に残りません。すると、同じ状況に置かれた次の人が、同じ失敗をします。その人も黙るかもしれません。

そうやって3年経っても、棚の配置は変わりません。

そして、いつか誰かが同じ間違いをして、今度は患者さんに実害が出ます。そのとき初めて調査が始まり、「以前から似たことがあった」と分かります。

その時に責められるのは、黙っていた人ではなく、仕組みを放置した組織です。 ただ、失われたものは戻りません。

評価に響くのかどうか

正直に書きます。ここは病院によって違い、断定できません。

本来の考え方からすれば、報告したことを理由に不利益な扱いをするのは筋が通りません。報告が減って困るのは組織のほうだからです。

ただ、実際にそういう扱いをしている職場があることは否定できません。 「あなたの職場では絶対に大丈夫」とは、私には書けません。

言えるのは、扱いがおかしい職場は、そのこと自体が問題だということです。報告を責める運用をしている限り、その病院の医療安全は機能しません。

もし報告を理由に明らかな不利益を受けたなら、それは医療安全の問題ではなく、労務の問題として扱うべき事柄です。

書くときに、気持ちを軽くする考え方

最後に、実務的な話を3つ。

1. 反省文ではありません

謝罪の言葉を並べる必要はありません。事実を淡々と書くほうが、読む側には役に立ちます。

2. 第一発見者でも書きます

自分のミスでなくても報告するのは、責任を負わせるためではありません。事実に近い人が書くのがいちばん正確だからです。

3. ヒヤリとしただけでも書く価値があります

実害が出なかった事例こそ、対策を打つ猶予があります。何も起きなかったうちに直せるのは、報告があったときだけです。

呼ぶかどうかで迷う場面については、別の記事に書きました。

→ 急変で医師を呼ぶか迷ったとき

まとめ

  1. 国の事業は「情報は匿名化する」「懲罰的な取り扱いをしない」という原則で運営されている
  2. ただしそれは病院から機構への報告の話で、院内の運用は病院ごとに違う
  3. 読む側が見ているのは犯人ではなく、同じことが他の人にも起きるか
  4. 「注意します」は対策にならない。状況・紛らわしさ・気づいたきっかけを書く
  5. 「どうすれば防げたか」を書けるのは、現場にいるあなただけ
  6. 書かなかった事例は存在しなかったことになる。 棚の配置は変わらない
  7. 評価への影響は病院による。断定はできない
  8. 反省文ではない。第一発見者でも書く。ヒヤリだけでも書く価値がある

あなたが書いた1件が、次の人を守ります。 それが、この制度が本来目指しているものです。

関連記事

ご注意

この記事は一般的な情報提供であり、個別の職場の運用を判断するものではありません。医療事故情報収集等事業についての記載は、公益財団法人日本医療機能評価機構が公開している事業パンフレットをもとにしています。院内のインシデントレポートの扱いは医療機関ごとに定められており、報告の範囲・様式・その後の運用は病院によって異なります。具体的な取り扱いについては、勤務先の医療安全管理者にご確認ください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました